酒場文化研究所

2019.11.7

【続】「日本酒ブーム」は本当なのか?

第1稿から、多くの日本酒ファンを敵に回すようなことを書いてしまったが、誤解しないでいただきたいのは、日本酒が苦境にあるとしても悪いのは飲み手ではないということだ。

まず何よりも、私も含めお酒を提供する立場の人間がもっと日本酒のことを知らなければならないと強く思う。

そもそも私が純粋な飲み手から提供する側(飲み手としてのポジションは継続しつつ)に足を突っ込むことになったのは、日本酒を提供している飲食店の多くが不勉強であることに義憤を抱いたからである。燗酒に目覚め始めた頃の私が、「こだわりの地酒」と看板を掲げた店で落胆する羽目になったことは数に限りがない。経験の中から「これは」と思う酒を、お燗にしてくれるよう丁重に頼んでも、「これは上等な酒で熱燗にはできません」と諭すように言われて引き下がるといったことを繰り返しているうちに、「これはマズいぞ」と思ったのだ。こんな飲食店ばかりでは、「上等な酒は燗にできない教」が社会に蔓延してしまう。

造り手にも問題はあるのだと思う。お酒というものの本質を見つめ、伝統にしっかり足を置き、風土を活かして酒造りに励んでいる敬愛すべき酒蔵は多数ある。しかし、どうすれば売れるかというマーケティングだけに心を奪われ、本質からかけ離れた酒造りをするメーカーも中にはあるように思う。

過去にこんなことがあった。人の紹介である蔵元に会ったときのことだ。その社長は海外のコンペティションで受賞した炭酸ガス充填のスパークリング日本酒を携えてやってきた。他にもいくつかお酒を持ってきたのだが、どれもキンキンに冷やして飲むようなタイプのものばかりだった。その蔵がある土地は冷酒文化なのである。私が「お燗にできるお酒はないですか」と尋ねると、彼は困った顔をして少し考えたあと、鞄から1本のお酒を取り出した。それは糖類添加の酒だった。さすがにあの時は絶句してしまった。それならば、「ウチは冷やして飲むことを前提に酒を造っている」といってもらうほうが良かったと思う。

どういう方向に向かって商売をするのかは自由だから、キンキンに冷やすお酒を専門に造るメーカーがあっても良いし、キンキンに冷やしたお酒を香り高くワイングラスで飲ませる店も結構だと思う。

私が言いたいのは、何らかの形で商売として日本酒に携わる者は「日本酒の伝承者」であってほしいということだ。自分の扱う商品にだけしか興味がないようでは、日本酒の伝承者とはいえない。日本酒の背景、全体像を捉えた上で、「うちのお酒はこうです」あるいは「私はこういうお酒が好きです」と伝えてほしいのだ。

飲み手ももちろん自由である。私自身は燗酒が好きで、どこへいっても一年中燗酒を飲んでいるが、私にはそれが合うだけのことである。肴をつまみながらいつまでもダラダラと飲むタチだから、香りが立つお酒は苦手で飲み疲れしないお酒が好きだ。ただそれだけのことである。キンキンに冷えたお酒を好む人を見て邪道とは言わないし、「お酒の香りを楽しむのが好き」という人はそれで良い。

ただ、できれば日本酒には幅広く奥深い楽しみ方があることを知ってほしい。そうすれば、TPOに合わせて日本酒を楽しむ機会も今よりもっと増えるはずだ。せっかく「日本酒が好き」と思えたのに、一面的な楽しみに終わってしまっては余りにももったいない。